津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-

寺社 安福河伯神社

宮城県亘理郡亘理町逢隈田沢字堰下220

安福河伯神社を包む鎮守の森

撮影日:2012-06-23 12:16:26

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碑のある神社縁起
式内社 安福河伯神社本殿 亘理町指定文化財
平成10年9月7日 指定 この神社は、阿武隈川の川の神(河伯)を祭神として祀る、「延喜式神名帳」(十世紀)にものっている由緒ある神社(延喜式内社)である。この地は、古来阿武隈川下流の治水用水、朝廷の北辺の守りとして重要な場所だったのだろう。そのため、この地にこの神社が祀られたと思われる。社名は、「貞観紀」(862年)には阿福麻神社、「封内風土記」(1769年)には阿武隈明神社、「安永の風土記書上」(1779年)には、阿武隈神社、以前掲げてあった鳥居の扁額には「阿武隈大明神」とあるが、みな同一社である。
 古来近郷の人びとに崇敬され、旧藩時代には邑主亘理伊達家によって手厚く保護されていたという。また、明治から昭和20年(太平洋戦争終戦)までは郷社であった。
 この神社は、もと亘理町逢隈田沢字宮原の阿武隈川近く(常磐線鉄橋の西約200mの堤防の下)に鎮座していたが、のち(年代不明)現在地の水上山(三掴山)の丘の上に遷宮された。現在の本殿は、流れ造りで間口二間奥行二間、拝殿は四間に三間、幣殿は二間に一間。建築年代は本殿が安政5年(1858年)8月で拝殿・幣殿はそのあとである。本殿は、はじめ亘理伊達氏が寄進する計画であったが種々の事情から実現せず、氏子や崇敬者によって建立された。
 本殿は、亘理では建築年月のわかる数少ない江戸時代後期の建物で、彫刻が見事である。石段の登り口にある鳥居は花崗岩で、様式は明神造りである。 (社頭掲示板)

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