津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-

寺社 熊野三所大神社(くまのさんしゃおおみわやしろ)(浜の宮王子社)

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜ノ宮350

撮影日:2012-03-09 09:44:54

  • 熊野三所大神社(くまのさんしゃおおみわやしろ)(浜の宮王子社)
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碑のある神社縁起
当神社は、熊野権現三神、即ち夫須美大神、家津御子大神、速玉大神を祭神としている。
所有する古文書の中の明細帳(昭和初期の模写)によれば、村社大神社、祭神天照皇大神、配祀彦火火出見尊、大山祇命とあり、又由緒として、祭神寛文記に熊野三所権現とあり、又王子社ともいう。
平家物語の維盛の記述に、 三の御山の参詣、事故なく遂げ給ひしかば、浜ノ宮と申し奉る王子の御前より一葉の船に棹さして万里の蒼海に浮び給ふとあるは當社なり。
藻塩草當國の部に渚宮とあるは即ち當社なり。
寛文記に當村を渚宮とあり、往昔神武天皇丹敷戸畔を誅し給ふ地なりと言ふ。と記されている。
 明治六(一八六四)年村社となる。同四十年四月一日神饌幣帛料供進指定神社になる。
 社殿創立については、明細帳に、「上古祭場の遺跡につき、欽明天皇ノ御宇に社殿創立せしものなりと伝ふ」、熊野年鑑に「欽明天皇二十四(五六三)癸未年熊野浜ノ宮成」とあり。又、熊野年代記に「欽明天皇二十四(五六三)癸未年浜ノ宮宮殿出現」とある。本社古伝に依れば、「往古は唯祭壇のみ在り、社殿造立は前記時代を創始とす。」とある。
 社殿造営は、社宝の棟札によれば、慶安元(一六四八)年の再建と伝えられる。其の後、享保十九(一七三五)年に修復の棟札に紀伊国主権中納言從三位源朝臣宗直監議奉行家達(水野大炊頭、安藤帶刀)とあり、那智山や浜ノ宮の他の建物と共に修復された。(和歌山県神社庁HPより)

緯度・経度情報

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