津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-

津波警告板 津波の年代:宝永4(1707)年

和歌山県西牟婁郡白浜町富田(富田区長)

津波警告板(表面)

撮影日:2011-07-10 15:41:34

  • 津波警告板
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碑文
津波警告板
碑文縁起(表)
宝永四丁亥の都歳夏六月無名ノ細虫其ノ数無量ニシテ出来リ穀苗ヲ食イ損ス大サ一寸或ハ一寸余此ニ由テ民家憂ヲ懐クコト甚シ漸ク月ヲ越テ退散ス
同冬十月四日午ノ刻大地震半時計リ大地衣山河破裂シ民屋人家崩損ス天柱も折レ地軸モ摧クルガ如シ老少男女共ニ天地傾覆スルカト思ヒ神識迷乱シテ死生ヲ知ル者更ニナシ時に海上俄ニ洶々トシテ白浪蹈天ノ勢イ山ヲ崩シ地ヲ穿ツ於越テ衆人地震潮津波ノ入リ来ルヲ聞テ驚キ騒ギ気モ魂モ身ニ不添跣足ニシテ直ニ小倉山或ハ飛鳥山ニ逃登リ身命ヲ全フシ或ハ途中ニシテ浩波ニ漂流シ半死半生ニシテ山ニ附キ幸ニシテ死ヲ免ルル者アリ或ハ家財ニ心ヲ寄セ家ヲ出ルコト遅滞ノ輩悉ク濁浪ニ没溺シテ一命ヲ失フ者百数十人凡ソ平地ニ有ル民屋富田ノ内高瀬芝伊勢谷溝端高井吉田中村西野一宇モ不残流失シテ村居民屋忽野原ト成ス嗚呼前業ノ所牽乎抑将天運乎今度ノ天災一業ノ所感ト云ナカラ前代未聞ノ珍事也后代若大地震セハ必ス津波地震潮入来ルト知リ早ク覚悟シ不可油断者也後人ノ亀鑑トセン為ニ地震津浪ノ万乙ヲ記シ置者也
宝永四年十月日記了也
右飛鳥宮裡納置焉 毎歳祭礼ノ節村中可見聞
碑文縁起(裏)
表書之通往古茂有之様聞伝候へ共此辺諸寺諸社相存記録も無之世人々逃申事及平滞命を失ひ申人々多ク有之候ニ付板を削草堂寺西塔大和尚様を御頼申如斯書記当社ニ納申候毎年御祭礼之節皆々ニ見聞罷成大地震をば津浪入来海と心得無油断あすか山へ揚り可申事
一 御祭礼社役御幣捧申目覚寛文延宝の比又右衛門次ニ又佐衛門次ニ五郎右衛門次ニ又右衛門次ニ五郎左衛門次ニ佐太夫次ニ由乎元文申より又右衛門
備考
宝永4年(1707)10月4日、東海・東南海・南海地震が同時発生したともいわれる「宝永大地震」(マグニチュード8.4~8.6)が起こり、東海地方から紀伊半島、四国の太平洋沿岸地域は大津波に襲われた。この時に経験した地震や津波の恐ろしさを、後世の人々に伝えようとする津波警告板(和歌山県指定有形民俗文化財)。この津波警告板は、富田川河口付近の高瀬村(現、白浜町富田)の飛鳥神社(飛鳥宮)に伝来し、明治時代に飛鳥神社が日神社に合祀(ごうし)されたため日神社所蔵となったが、近年富田区に返還された。昔は津波のことが記録されていなかったため、逃げ遅れて命を落とす人が多かった。そこで、村では飛鳥神社の近くの草堂寺三代住職である松岩令貞(しょうがんれいてい)に依頼して、津波に対する警告を書いてもらったという。

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