津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-

寺院 元禄津波供養碑 津波の年代:元禄十六年(1703)十一月二十二日

千葉県長生郡長生村一松丙301 一松山 本興寺

撮影日:2012-12-14 00:00:00

  • 元禄津波供養碑
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碑文
右側には「南無妙法蓮華経水 死霊 是人於佛道決定無有疑 元祿十六年癸未夭十一月廿三日 施主一ツ松村惣郷中」と刻まれ、他の一基は『元祿十六年大津浪本村死者八四五人 二百五十年忌供養塔 昭和二十七年十月二十三日営之 一松廿八題目講中』とそれぞれ刻されている。
碑文縁起(表)
元禄十六年(1703)十一月二十二日夜、当地は元禄地震による大津波に襲われ多くの方々が犠牲となりました。総死者数一万人以上(資料によってことなる)、当地域(一松村)だけでも約七百名の方々が犠牲となり、当山はその約七百名の法号(戒名)を全て刻んだ「元禄津波水死者大位牌」を安置し、今日まで供養が続けられています。供養碑は現在長生村の文化財に指定されています。他にも当時から残る供養碑が二基存在し、多くの参拝者、研究者がご来寺されています。(本興寺HPより)
碑文縁起(裏)
右側には「南無妙法蓮華経水 死霊 是人於佛道決定無有疑 元祿十六年癸未夭十一月廿三日 施主一ツ松村惣郷中」と刻まれ、他の一基は『元祿十六年大津浪本村死者八四五人 二百五十年忌供養塔 昭和二十七年十月二十三日営之 一松廿八題目講中』とそれぞれ刻されている。  本堂内の大位牌には法名が刻されているが数百年余を経ているので字句も薄くなり解読も困難である。  
碑のある神社縁起
創立  永正十五年(1518)四月二十八日 開基(本興寺を開かれた方) 大本山鷲山寺(じゅせんじ) 第八世 日幡(にちばん)上人 現住職 第四十三世  平田 日範(にちはん) 由来・沿革 当地域は元々真言宗であったと伝えられていますが、大本山鷲山寺第八世日幡(にちばん)上人の折伏(しゃくぶく)により、永正十五年(1518)四月二十八日、法華宗に帰信し一カ寺を建立、一松山(いっしょうざん)本興寺と称します。 当山より南方に向かい、蓮華院・久成院・雲照坊・常住坊・善立坊・慈雲坊の六坊がありましたが、現存するのは蓮華院・久成院の二院のみである。当山第七世日乗上人の代までには八カ寺の末寺が創立され、本堂・庫裡・番神堂・宝物堂・鐘楼堂等が完備され、一松郷の中本山として法運増々盛んとなりました。現在は本興寺・蓮華院・久成院とそれぞれが一寺院として活動しています。現在の本堂は昭和八年、当山第四十二世日確上人によって建立され、戦中、戦後と学校としても利用され、お寺の本堂としては珍しい奥行のある合掌造りとなっています。本堂須弥壇には当地域、一松村で命を落とされた元禄津波犠牲者、戦没者の大位牌を安置し、日々供養をさせていただいています。 (本興寺HPより)
災害名称
元禄地震(1703)

緯度・経度情報

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