津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-
Cultural Heritage Sites Possessing Memories of Tsunamis: Database of Temples/Shrines and Stone Monuments
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浅川 天神社 安政の津波碑
所在地
location
:
徳島県海部郡海陽町浅川字大田34 天神社境内
浅川 天神社 安政の津波碑
撮影日:
Date the photo was taken
碑文
inscription
安政の津波碑文
碑文縁起(表)
Inscribed history (front)
安政の津波碑文 干時安政元年寅年(一八五四)十一月四日辰刻(午前七時~九時頃)地震暫くゆり、巳刻比(午前九時~十一時頃)汐狂ひ往還へ溢れ人々驚山上へ荷物をはこび逃登りあわてあへり。夫より心をくはり其夜を明かす。翌五日晴天風雲なく日輪朧の如く暖なる事三月頃の如くなれは審敷思ひ山上へ荷物を持上るもあり、又は前日の変で事済しと思ひまちまちなる折から申ノ刻比(午後三時~五時頃)大地震暫有て終後大海より高さ三丈計の大汐さし込、其の早き事矢を射るが如し。浦上カラウト坂麓迄いせた戸や山の神関迄上り、其夜汐さし込事幾度ともしれす。天満宮、大年、御崎三社、並に浦三ヶ寺相残り、其余在家流失、村分西ノ奥、東谷人家悉流失なれ共、用心せし故村中怪我人なし、永正慶長に両度あり。又宝永四亥(一七〇七)十月四日稲観音堂石像地像に記あり。宝永度迄百年前後なれとも、こたびは百四十八年目なり、依テ後年寒暖時候に背き大地震ゆる時は必油断すへからす。 後世心得のため是を建るもの也
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浅川大田の天神社境内には、碑文が読めなくなった安政南海地震(1854.12.24 )の碑と碑文がわかるように再建した2つの碑があります。「安政南海地震の前日(1854.12.23)、安政東海地震が起き、その日の午前10時頃、浅川では海水が道路に溢れ、住民は山へ避難した。翌日(1854.12.24)、午後4時大地震、約9mの津波により、天神、大歳、御崎の3神社、江音、千光、東泉の3 寺以外は人家全て流失した。幸い村内には怪我人は出なかった。」などと刻まれています。(徳島県「南海地震を知る
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