津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-Cultural Heritage Sites Possessing Memories of Tsunamis: Database of Temples/Shrines and Stone Monuments

寺院/Buddhist temple
最御崎寺(ほつみさきじ)

所在地location 高知県室戸市室戸岬町4058-1

最御崎寺

撮影日: Date the photo was taken

  • 最御崎寺(ほつみさきじ)
  • 最御崎寺(ほつみさきじ)
  • 最御崎寺(ほつみさきじ)
  • 最御崎寺(ほつみさきじ)
  • 最御崎寺(ほつみさきじ)
  • 最御崎寺(ほつみさきじ)
  • 最御崎寺(ほつみさきじ)
  • 最御崎寺(ほつみさきじ)

関連情報 Related information
四国八十八ケ所第24番札所室戸山 明星院 最御崎寺 「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある。黒潮のしぶきにあらわれて鋭角になった黒い岩礁。そのすさまじい響き、空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む青年・空海がいた。延暦11年(792)、弘法大師19歳のころとされている。この詳細は、大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。 「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」 大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立、創した。嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により、寺運は隆盛した。 当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している二十六番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。 (四国八十八ヶ所霊場会 公式 HP より)

緯度・経度情報Latitude/Longitude

関連する寺社・石碑を探す