津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-Cultural Heritage Sites Possessing Memories of Tsunamis: Database of Temples/Shrines and Stone Monuments

寺院/Buddhist temple 碑/Monument
大善寺墓地下宝永津波溺死之塚碑

所在地location高知県須崎市西糺町

津波の年代Year of the tsunami17017年(宝永4年)、1854年(安政元年)

大善寺墓地下寛永津波溺死之塚碑

撮影日:2018-01-26 11:00:00 Date the photo was taken

  • 大善寺墓地下宝永津波溺死之塚碑
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碑文縁起(表)Inscribed history (front)
寶永津浪溺死之塚
碑文縁起(裏)Inscribed history (back)
此塚ハ昔寶永四年丁亥十月四日大地震して津浪起り須崎の地にて 四百餘人溺死し池の面に流れ寄り筏を組か如くなるを池の南地に長き坑を 二行に堀り死骸を集め埋め在しを今度百五十年忌の弔に此處に 改葬するもの也其事を営まんとする折しも安政元年甲寅十一月 五日又大ゆりして海溢しけるか昔の事を傅聞且記録もあれハ人〃思ひ當りて 我先にと山林に迯登りけれハ昔の如く人の損しハ無りし也惟其中に舩に 乗り沖に出んとして逆巻浪に覆され三十餘人死たり痛ましき事也 何なれハ衆に洩て斯ハせしそと云に昔語の中に山に登り落くる石にうたれ 死し沖に出たる者恙なく帰りしと云事の有を聞誤認しもの也 早く出て沖にあるハしらす其時に当りて舩出する事ハ難かるへし誡むへき 事にこそ将昔の人ハ地震すれハ迚津浪の入る事を弁へす浪の高く 入來るを見るよりして迯出たれハおくれてかたの如き難に逢り哀 にも又悲まさらんや地震すれハ津浪は起るものと思ひて油断ハすまし き事なりされとゆり出すや否浪の入るにも非ず少の間ハあるもの なれハゆりの様を見斗らひ食物衣類等の用意して扨石の落さる高 處を撰ひて遁るへしさり迚高山の頂迄登るにも及ハす今度の浪も古市 神母の邊ハ屋敷の内へも入らす昔も伊勢か松にて(数)人助かりしといへハ津浪 とてさのみ高きものにも非ず是等百五十年以來二度迄の例しなれハ考にも成 へきなり今茲此営を成すの印旦後世若斯る折に逢ん人の心得にもなれ かしと衆議して石を立其事をしるさんことを余に請ふ因て其荒増を 挙て為に書付る者也 安政三年丙辰十月四日古屋尉助識
災害名称 Disaster name
宝永地震、安政南海地震
建立時期 Construction period
安政三年(1856年)10月4日
関連情報 Related information
地震津波碑デジタルアーカイブ:http://www.jamstec.go.jp/res/ress/tanikawa/gallery/kochi/tanezaki-kubo.html
参考文献 References
木村昌三・小松勝記・岡村庄造、南海地震の碑を訪ねて、2002年、毎日新聞高知支局

緯度・経度情報Latitude/Longitude

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