津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-

神社 早馬神社

宮城県気仙沼市唐桑町宿浦75

撮影日:2015-09-09 12:10:23

  • 早馬神社
  • 早馬神社
  • 早馬神社
  • 早馬神社
  • 早馬神社

碑のある神社縁起
 建保五年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の別当であった梶原専光坊僧正景実【(かげざね〉、鎌倉武将 梶原平三景時公の兄)】は、正治元年(1199年)の源頼朝公の死亡、これを追うかのような梶原景時公一族の没落、又、和田氏、畠山氏が滅んで行くのを見て世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中の当町石浜にたどりつきそこを切り開き住んだ。 【梶原専光坊僧正景実は箱根別当行實の弟子、『吾妻鏡』では専光房良暹(せんこうぼう りょうせん)】  家の脇に社を建て、源頼朝公(鎌倉幕初代将軍)、梶原景時公(源頼朝公第一の家来)、梶原景季公(景時公の子)の御影を安置し一族の冥福を祈り、菩提を弔う為梶原神社を崇め祀った。  建保七年(1219年)、一族の梶原三郎兵衛尉景茂【(かげもち) 梶原景時の三男)】の子である第二代大和守景永は、景実僧正の後を慕ってこの地に至り景實の猶子(養子)となった。景永は神職となり、早馬大権現別当として早馬山頂に神社(奥宮)を建立した。  正慶元年(1332年)、第五代大和守慶永の時、紀州熊野本宮より勧請し社殿を新たに建立。以後、数度の建て替えが行われる。  里宮は1611年慶長三陸地震の大津波により流失し、石浜より明戸と移り、その後、現拝殿が鎮座する宿浦へ遷座する。 中世は本山派修験として京都聖護院より『良厳院 (りょうごいん)』の院号を授かる。  仙台藩時代には伊達家の祈祷師として仕え九曜紋を授かる。 明治のはじめに神仏分離令により早馬大権現より現社号 『早馬神社』に改め現在に至る。 本山派修験良厳院累世社務を掌り現宮司で三十三代目となる。 神幸祭には、神輿渡御、船祭り、献膳祭、打囃子、稚児行列、道中手踊りが執り行われる。  (早馬神社ホームページ)
災害名称
東日本大震災 昭和三陸地震津波

緯度・経度情報

関連する寺社・石碑を探す