津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-Cultural Heritage Sites Possessing Memories of Tsunamis: Database of Temples/Shrines and Stone Monuments

碑/Monument
鞆浦海嘯記碑

所在地location徳島県海部郡海陽町鞆浦字立岩50番4

津波の年代Year of the tsunami1854年(安政一年)

鞆浦海嘯記碑

石碑の正面

撮影日:2017-11-16 09:59:56 Date the photo was taken

  • 鞆浦海嘯記碑

碑文 inscription
海嘯記碑
碑文縁起(表)Inscribed history (front)
昭和二年五月一日 嗣子 高木貞映衞 建之 建之 世話人 四方原 佐藤理太郎 管理者 鞆浦 岡澤宮吉 地主 岸忠海 海部郡鞆浦海●の記 嘉永七年甲寅の十一月地震海溢の變災ありける。其始め八四日の朝天氣いとよく冬の日ならぬはかり温暖なりしか、 巳の刻の頃大地俄に震動し海潮狂ひて港口へみちこめる音烈しけれは、人皆驚き騒きけるか程なく治りぬ。 その夜も又ゆりぬれとさしたることにもあらす、五日はとりわけ空晴て山に雲かゝらす海に浪たゝす、 日の色すこし黄みて光のよわき様に覚ゆれと、前日よりも猶暖和にして小春のことき天氣なれは 誰も心を安んし居けるに、申の刻の頃大にゆれ出し西山の方に当りて鳴音は砲声雷響の混するか 如く魂消るはかりなるに、海面もまるて渡りて高潮渤然と涌騰り向ひの濵をこえ満込来る にぞ。すハ海溢そとあわてふためき、とる物もとりあえす最寄の山〃へ迯のほるに、潮勢鋭く激漲 して地方は多善寺の門前、川すちは脇宮へ来り引汐となりぬ。かゝること夜半に及ひて四五度なり。 地の震動は夜の明るまてに三四十度はかりならむ。その中にも亥の刻の震は殊に大きにして申の 刻にひとし。その間に〱ハ海山折〃鳴響くなん、天柱くしけ地いかくるやと恐懼戦慄せさるハ なし。しかのミならす此の夜は寒氣凛烈にして霜風肌骨に透り、満天澄渡り星光冴尽して 物すさましき形勢いはんかたなかけれハ、山〃に逃集りたる老若男女ひたすら弥陀の名號を 唱へ金錢衣食の欲念を離れ、只命はかり助かりなんと願ふの外他事なかりしとそ。この海溢に 大荒の所〃は二三丈も潮あがりて命うしなひ物も多かるに、許の浦は壱丈二尺はかり なれは屋舎もさまていたます人はひとりの怪我たになきこそ誠に有がたきさちなり けれ。それより年の暮れまては夜こと日ことゆり〱て、潮も折〃狂ひつゝ安き心もなかりしを、 ことしになりて春秋と移るにしたかひ漸〃に間遠くして、はた微動となりぬ。さても震潮の妖資也。 いにしへより百年の前後に必すあなれは後年にも又定めてあるへし。銃手岡澤行正此事を 憂へ慮りて浦長高橋甫助とかたらひ其の梗概を石に彫字普く後世の人に告しめさむと欲す。そは唯この 變にあハゝ迅速に逃避して命を全くせしめむとの能構なれは是なん惻隠に至誠といふへき。 余にその事を記してよと乞こと頻なり。余も亦感歎に堪す其善擧を助けんと思ひて、安政二年 乙卯の秋 高木宗矩これをしるす
災害名称 Disaster name
安政南海地震
建立時期 Construction period
1925(昭和二年)5月1日
関連情報 Related information
地震津波碑デジタルアーカイブ:http://www.jamstec.go.jp/res/ress/tanikawa/gallery/kochi/tanezaki-kubo.html
参考文献 References
徳島県教育委員会、徳島県埋蔵文化財調査報告書第3集 南海地震徳島県地震津波碑調査報告書、2017年

緯度・経度情報Latitude/Longitude

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