津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-Cultural Heritage Sites Possessing Memories of Tsunamis: Database of Temples/Shrines and Stone Monuments

震災遺構/Disaster Remains
旧吉田家住宅

所在地location気仙町字町裏200番地7

津波の年代Year of the tsunami2011(平成23)年3月11日

住宅入り口

撮影日:2025-09-30 09:08:11 Date the photo was taken

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碑文 inscription
岩手県指定有形文化財 旧吉田家住宅
碑文縁起(表)Inscribed history (front)
住宅案内板
 吉田家の初代大肝入古田字右衛門(焼後)は、元和6年(1620)、仙台祖伊達政宗により気仙部24箇社の大肝入に仕されました。
 当時の気仙郡は、現在の陸前高田市、大船渡市、住田町、釜石市店井地区を含む広い地城であり、大肝入は、地方役人の最上職として各村の肝入を指揮監替し、年式を取りまとめに送納し、罪人の下調べを行いました。
 また大肝入に対しては、年貢等諸役の免除や帯刀及び絹紬の着用が認められていました。
 大肝入の執務所だったこの建物は、屋根表で発見された墨書から、辛和2年(1802)、今旅社の大工換染七五郎により建てられたことがわかっています。藩主や基府の返徒が現察に訪れる際には宿所として改築し、明治期に大肝入制度が廃止されてからは住宅として修繕を重ね200年以上に渡り大切に保存されてきました。
 平成18年(2006)には、仙台における大肝入の少ない遠携であり貴重であるとして主屋、土蔵、味噌蔵、納屋(長屋)の1件の線が「古田家住宅」として岩手県指定有形文化財に指定されています。
平成23年(2011)、来日本大災の津波により町全体が壊滅状態となりましたが、奇跡的に主屋の建築部材の約6割を回収することができました。その後、復旧するための調査や検証を経て、平成30年(2018)には指定名称が「旧古田家住宅主屋」に変更され、気仙大工左官の職人達により14年の年月をかけて徒旧が完了しました。
災害名称 Disaster name
東日本大震災
建立時期 Construction period
2025(令和7)年5月

緯度・経度情報Latitude/Longitude

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