津波の記憶を刻む文化遺産 -寺社・石碑データベース-

大地震両川口津浪記石碑

大阪府大阪市浪速区幸町3丁目 大正橋東詰北側

東面

撮影日:2012-06-29 09:42:13

  • 大地震両川口津浪記石碑
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碑文
大地震両川口津浪記石碑
碑文縁起(表)
(東面) 大地震両川口
于時嘉永七甲寅年六月十四日子刻頃大地震。市中一統驚き、大道川端に彳ミ、ゆり直しを恐れ四五日心もとなふ 夜を明しぬ。伊賀大和けか人多しとなん。同十一月四日辰刻大地震。前ニ恐れ明地に小屋懸、老少多く小船に乗。翌五日申刻大地震。家崩れ出火も有。恐敷有様漸治る頃、雷の如く響き、日暮頃海辺一同津波。安治川ハ勿論、木津川別而はけ敷、山の如き大浪立、東堀迄泥水四尺斗込入、両川筋に居合す数多の大小船碇綱打きれ一時川上へ逆登る勢ひに、安治川橋、亀井橋、高橋、水分、黒金、日吉、汐見、幸、住吉、金屋橋等悉崩れ落。尚大道へ溢る水にあハて逃迷ひ、右橋より落込も有。大黒橋際ニ大船横堰に成候故、川下込入船、小船を下敷に弥か上乗懸、大黒橋西、松ヶ鼻南北川筋一面暫時ニ船、山をなして多く破船。川岸の掛造り納屋等大船押崩し、其物音人の叫ふ声々急変にて助ケ救ふ事あたハす。忽水死けか人夥敷。船場島の内迄も津浪寄せ来るとて、上町へ逃行有様あハたゝし。今より百四十八ヶ年前、宝永四丁亥年十月四日大地震之節も、小船ニ乗、津波ニて溺死人多しとかや。年月隔てハ傳へ聞人稀なる故、今亦所かはらす夥敷人損し、いたま敷事限なし。後年又計かたし。
碑文縁起(裏)
(南面)
津浪記 都而大地震之節ハ津波起らん事を兼而心得、必船に乗へからす。又家崩れて出火もあらん、金銀証文蔵メり火用心肝要也。扨川内滞船ハ大小ニ応し水勢穏成所撰繋かへ、囲ひ船ハ早々高く登し、用心すへし。かゝる津波ハ沖汐込斗ニ非す。磯近き海底、川底より吹涌。又ハ海辺の新田畑中ニ泥水あまた吹上る。今度大和古市池水溢れ、人家多く流しも此類なれは、海辺、大川、大池の辺に住人用心有へし。水勢平日之高汐と違ふ事、今の人能知所なれとも、後人之心得、且、溺死追善旁、有の侭、拙文にて記し置。願くハ、心あらん人、年々文字よミ安きやう墨を入給ふへし。

(西面)
天下和順  日月晴明
風雨以時  災厲不起
南无阿弥陀佛
南無妙法連華経
願以此功徳  普及於一切 我等與衆生  皆共成佛道

(北面)
 安政二乙卯年 七月建之
 施主   長堀茂左衛門町
          丁人中 
          家守中
      発起   森
      補助   幸町五丁目
      年寄   播磨屋忠四郎
      地主   播磨屋重蔵
      大石取次 淡路屋喜右衛門 
大石一本 西側町丁中

緯度・経度情報

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